長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

悲しみ深く、胸に沈めたら…

今週末も、WOWOWの放送録画で、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』という映画を観ました。

製作がマット・デーモン、監督・脚本がケネス・ロナーガン、主演はケイシー・アフレック(マット・デーモンの親友のベン・アフレックの弟)です。2017年のアカデミー賞で、作品賞と監督賞は『ムーンライト』『ラ・ラ・ランド』に譲りましたが、見事に「主演男優賞」と「脚本賞」を受賞した作品です。

話の舞台は、アメリカのマサチューセッツ州、ボストン郊外の港町“マンチェスター・バイ・ザ・シー”(ちなみに、マンUやシティで有名なイギリスの“マンチェスター”は、内陸の街なので、海に面していません。近くにあるの港町は“リバプール”)。街の名前が、そのまま題名になっています。

兄の死をきっかけに、故郷に戻ることになった主人公。やがて、明らかになる過去に犯した、取り返しがつかない過ち。BGMに流れるアダージョが、心を揺さぶります。
そのために、心を閉ざして、生まれ育った街を離れて、独り、深い深い悲しみを抱えながら、贖罪の日々を生きています。半地下の天井が低く、陽もほとんど当たらない部屋に住みます。

「家具を買おう」
「あるよ」
「どこに?これは家具じゃない」
「これが部屋?家具を…」
「ほっといてくれ」

これまで固く蓋をして、忘れようとしていた、過去の深い悲しみと向き合うことで、強かった“家族の絆”が、丁寧に描かれていきます。主人公は、遺された甥に対しても、不器用で無愛想、時に攻撃的になり、自分の考えを言葉や態度で、上手く伝えることが出来ません。まるで、ミサトさんとシンジくんと同じ“ヤマアラシのジレンマ”です。

「落ち着くまで そばにいるよ」
「もう平気だ あっちへ行って」
「イヤだ」

単調な中にも、釣りや車での送迎など、何気ない日常、静かなやり取り、穏やかな街の風景が、重いテーマにもかかわらず、ホッと暖かい安らかな気持ちにしてくれます。そして、ラスト近くで、道を歩きながらの途切れ途切れの会話、拾ったボールでやる、下手くそなキャッチボールのシーンが、強く印象に残りました。

「部屋が見つからん。予備の部屋が欲しい。ソファ・ベッドを置くから」
「何のために?」
「お前が遊びにくる。ボストンの大学に入るかも」
「進学しない」
「じゃあ 物置きにするよ」
「この話 続けるか?」
「いいや」

女性と男性とでは、悲しみの乗り越え方が、だいぶ異なるようです。