長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

オジサンの日帰り独り旅(静岡県島田市~愛知県豊橋市)

(前回からの続きです)
島田駅では、改札を出ることなく、JR東海道線を先に進みます。次に乗った電車は、「浜松」行きです。島田駅の1つ先、大井川を渡った最初に停まる駅が「金谷」です。ここからは、SLで有名な大井川鉄道に、乗り換えが出来ます。しかし、今回は残念ながら接続が合いません(千頭駅までの直通列車が、10分くらいに前に出たばかり。で、次はなんと2時間後!)。なので、仕方なく諦めました(予め時刻表やネットで調べたりしないで、出たとこ勝負の旅ですから)。電車は、さらに西へ。掛川駅に停まってから、ここもサッカーで有名な磐田駅、そして、天竜川を渡ると、浜松駅に到着しました。
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左側が、島田駅から乗ってきた電車で、右側が、豊橋まで行く電車です。
お昼を過ぎて、お腹が空いてきましたので、本当は、“浜松餃子”か“浜名湖の鰻”を食べたかったのですが、乗り換えが時間が10分しかありません。先に進みます。
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これも展望席です。しかもロマンスカーと違って運転席も見ることができます。
そして電車は、浜名湖を通渡って、町田駅から、実に6時間30分掛かって、豊橋駅に到着しました。
ここまで来て、ようやく青空が見られるようになりました。
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豊橋の駅は、子どものころに降りた(正確には、名鉄に乗り換えた)ことがありますが、キレイに改築されたらしく、まったく見覚えはありませんでした。駅前から、路面電車が出ています。これが、名鉄ロマンスカー的な特急です(「パノラマsuper」と呼ばれていて、乗りたい誘惑にかられましたが、グッと我慢をして)改札の外に出ることにしました。

まずは、お腹が空いたので、名物の「豊橋カレーうどん」を食べようと思って、駅から5分ほど歩いたところにあった「玉川うどん広小路本店」に、入りました。小うな丼とのセットを頼みました。カレーうどんの下には、とろろとご飯があって、うどんを食べ終わった後で、混ぜて食べるのが特徴です。味は、関東のカレーうどんより、“お醤油の塩っぱさ”と“とろみ”が、強いように思いました。うな丼のタレは、“甘み”が強くて食感がふわふわでした。やっぱり関東とは、違うものなんですね。
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美味しくいただき、お腹いっぱいになりましたので、市内を歩いて探索することにしました。
でもその前に、ネットで、豊橋市について、調べてみました。

豊橋市(とよはしし)は、愛知県の南東部にある都市東三河地方の中心都市であり、同地方の人口の約半数を占める。中核市に指定されている。
中世から江戸時代まで市の中心部は吉田(よしだ)と呼ばれていた。吉田という地名は全国各地にあったため、三州吉田と呼ばれることが多かった。
吉田は豊川朝倉川の合流地点であり、渥美郡宝飯郡、そして八名郡の境目に当たる。江戸時代には 吉田藩城下町吉田宿宿場町豊川水運で栄えた湊町であった。明治2年6月(1869年)の版籍奉還で、吉田から豊橋に改称した。-Wikipediaより

探索の経路は、まずは駅前の商店街から、豊川を目指しました。
川の手前に、古い弁天様のお社がありました。
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その横から川の土手に上がることが出来ました。
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そのまま、川の土手の遊歩道を歩いて、吉田大橋の袂から上がって、豊橋市役所に向かいました。
こちらが豊橋市役所です。
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市役所のすぐ裏が、公園(吉田城跡)になっていました。
吉田城の本丸跡には櫓があり、
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さらには市立の美術館がありました。
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さらに、公園の近くには、こんな素敵な建物が遺されていました。
ハリストス正教会(大正2年建築)です。
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豊橋公会堂(昭和6年建築)です。現在も使用しているようです。
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駅まで、路面電車に乗って帰りました。
途中で、新型車両とすれ違いました。
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帰りは新幹線で、東京駅まで、わずか1時間20分で帰りました。
行きは、6時間半掛かりました。