長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

本来は誰のため?何のため?

ぼくが政治家や役人のどこが嫌いかというと、泥臭い仕事をしないからですよ。現場の仕事などまったく知らないくせに、偉そうな制度や規制を作って管理しようとするでしょう。黒部さん、あなたはぼくらを応援したいというが、実は邪魔をするかも知れませんよ。実務を知らない人間が上から目線で物事を決めると、結果的に現場を混乱させることになるんです。

黒野伸一さんの『国会議員基礎テスト』を読みました。今の「政治」や「選挙」に対して、疑問がある人はもちろんですが、今の「社会の在り方」とか、若年層や高齢者の「格差貧困」の問題を、何とかしたいと感じている人、福祉の仕事に関わりたいと思っている人も、是非、読んでみることをお勧めします。とても、良い本だと思いました。

(ここから先は、分かる人には分かる話です。分からない人はごめんなさい!)
黒野伸一さんと言えば、下のお名前の“伸一”の繋がりで、山本伸一の「雲海の着想」が、思い浮かびます。もしかすると、この本は、それに対する回答なのでしょうか?

果たして「政治」とは、本来は誰のために、あるのでしょうか?
「行政」や「法律」「制度」は、いったい何のために、あるのでしょうか?

自分が、19才のころ、自身の将来が見えずに、混沌した自問自答を繰り返して、悶々と、進む道を求めていたときに、まさに運命的に出会った本に、「雲海の着想」が書かれていました。その本によって、自分の人生が決まったと言っても過言ではありません。そして、そこから触発されて、貪り読んだたくさんの本の中の一冊が、岩波文庫ヴィクトル・ユーゴー作/豊島与志雄訳の『レ・ミゼラブル』でした。

以下は、訳者である豊島与志雄さんの序文から引用です。

詩人としては、ロマンチック運動の主将であり、政客としては民主派であり、主義よりむしろ熱情の人であった彼ヴィクトル・ユーゴーの脳裏に、最もあざやかに浮かんだところのものは、実に社会の底に呻吟(しんぎん)するレ・ミゼラブル(惨めなる人々)であり、 彼らを作り出した社会の欠陥であり、彼らが漂う時運の流れであった。(中略)そこにおいては、愚昧な一老爺といえども、堕落した一売春婦といえども、みな古代英雄のごとき光輝を放つ。

豊島与志雄さんは、序文の最後を、次のように書いて終わります。

すなわち、本書のごとき性質の訳書も、「地上に無知と悲惨とがある間は、おそらく無益ではないであろう。」

一方、黒野伸一さんは、本の最後を、以下の言葉で終わらせています。

さあ、進もう。果てしない未来に向けて。

そして、最終問題に対する自分の答えは「いりません」です。まずは自分自身が、地盤や看板、鞄に惑わされず、「真の政治家」を見抜く、賢い有権者になければいけないと思いました。