長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

大人のカサブタ

この前、日吉の本屋さんで買った本のうち、カウンセラーの諸富祥彦(もろとみよしひこ)先生の『人生を半分あきらめて生きる』を読み終わりました。

このように、人生の大半は、「いくらどうにかしたいと思っても、どうしようもないこと、あきらめなくてはならないこと」ばかりです。それが人生の現実なのですから、仕方ありません。あきらめるほかない、のです。(中略)しかし、大切なのは、多くのことをあきらめた上で、「にもかかわらず、なおも、本気で生きていく」ことです。たとえ人生の9割をあきらめざるをえなかったとしても、自分が大切にしたいものを本気で大切にして生きていくと、たましいの深いところが、満たされていきます。
もちろん、本気で生きることには、大きなリスクが伴います。
私のもとに相談に見えるクライアントの方の多くは、本気で生きています。
本気で生きているからこそ、絶望し、傷つき、病気にもなったのです。
以前に一度、ユング心理学の大家、河合隼雄先生に『現代のエスプリ』(No.435)という雑誌の座談会でお話をうかがったことがあります。このとき、ちょっとした休憩時間にだったでしょうか。河合先生はぽつりと、こんなことをおっしゃいました。
「諸富さん。クライアントの方は、本気でっせ。私たちはカウンセラーも、ちぃたぁ本気で生きなくては、とてもついてはいけませんよ」
「本気で生きれば、傷つかないわけにはいきません。しかし、傷つかずに変わろうなんて、そんな虫のいい話は、ありません」

河合先生は、村上春樹さんとも対談をされています。(この話は、また別のときにします)
さらに、諸富先生は、エピローグのなかで、次のように書いています。

「あきらめること」は、大切な何か(人生の目標や、仕事や、家族や、恋愛相手や、若さなど)を失う喪失体験です。それはたいへんに苦しく、多くの痛みや悲しみを伴う作業です。

昔、見た武田鉄也さん主演の映画『降りていく生き方』にも通じる内容だと思いました。(これも、また別のときに書きます。たぶん)

さすがに人生50年を過ぎると、それなりにカサブタの跡がたくさん残っています。それほど無茶をする方ではないのですが、傷を負うことは珍しくありませんでした。それよりも子どものころは、カサブタが固まってくると、治りきる前に剥がしてしまうことが多かったように思います。それで、結局いつまで治りきらずに、かえって目立つ跡が残ってしまいました。でも、たくさんのカサブタを遺したということは、それなりに「本気」で生きてきた「証拠」だと言えるかもしれません。

あらためて、“カサブタ”をネットで検索してみたところ、昔、見たアニメの主題歌が出てきました。

明日へ続く坂道の途中で
すれ違う大人たちはつぶやくのさ
「愛とか夢とか理想も解るけど
 目の前の現実はそんなに甘くない」って

つまずきながらも転がりながらも
カサブタだらけの情熱を忘れたくない

大人になれない僕らの強がりをひとつ聞いてくれ
逃げも隠れもしないから笑いたい奴だけ笑え
せめて頼りない僕らの自由の芽を摘み取らないで
水をあげるその役目を果たせばいいんだろう?

金色のガッシュベル!!主題歌 千綿ヒデノリさんの「カサブタ」より

まさに、これから人生の「坂道」を降りてゆく自分が、「夢」や「理想」を本気で語ることは、大人から子どもに、退化していくことなのでしょうか?そうではないと思います。「目の前の現実はそんなに甘くない」ことが分かっている「大人」が、本気で「夢」や「理想」を語ることで、次代に「何か」遺せるような気がします。