長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

3連覇を達成!

今朝、レアルが、リバプールを破って、3連覇を達成しました!

自分は、40年来のバルサ命(正確に言うと、クライフがすべて)で、なにせ根が関西人なので、王室公認のチームよりも、庶民設立のチームの方を全面的に応援しています。それでも、プレミアよりもリーガの方が好きです(ブンデスやセリアよりはプレミアの方が好きです)。

ここまで読んでも、分らない人には、まったく分らない話ですね。スミマセン!
また、別の機会に詳しく書きますが、自分は、小学生の頃から3つのかなりヘビーなオタクなんです。
そのどれか、一つだけでも、たぶんブログをやれると思っています。

それは、「鉄道」「地図」、そして「サッカー(本当は、フットボールと言いたいのですが)」です。

まだ、Jリーグがなかった時代。まだ、日本代表が韓国に完敗して、オリンピックにも出場出来なかった時代。ワールドカップは、雑誌の写真と「ダイヤモンドサッカー」で録画を二週間掛けて観るものでした。それから考えると、本当に夢のようです。そう言えば、自分でノートに「もしも日本にプロリーグが出来たら」って、想像してチーム名を書いていた記憶があります。例えば、アトレティコ日立とか、FC浦和、清水と豊田、大阪、広島のチームもあったと思います。それでも、読売クラブと日産FCは、そのままだったと思います。ところで、バルセロナリバプールは、比較的大きな都市の名前ですが、チェルシーアーセナルトッテナムホットスパーズは愛称です)は、ロンドン市内の町名に過ぎません。東京で言うと、港区や新宿、渋谷よりもさらに狭い範囲の、それもサッカーチーム以外はニュースにもならない、地下鉄の駅なんです。ちょうど、乃木坂FCとか阿佐ヶ谷FCって感じです。本場プレミアリーグの歴史を感じます。なにせ、アーセナルのクラブ設立は、1886年ですから。和暦だと、明治19年!北海道道庁や今の伊勢丹関西大学が出来て、婦人活動家の平塚らいてうさんや、「智恵子抄」の高村智恵子さん、谷崎潤一郎さんが生まれた年です。

子ども頃、日本でサッカーは本当にマイナースポーツでした。確か「サッカーマガジン」は、月刊だったような気がします。それが、隔週発売になったときは、喜んだことを覚えています。NASLのワシントン・ディプロマッツに居たクライフや、デンマーク代表でボルシア・メンフェングランドバッハからバルサに移籍したアラン・シモンセンリバプールからハンブルグSVに移籍したケビン・キーガンの写真を切り抜いて、下敷きに入れていました。また、74年のミュンヘン・オリンピックスタジアムでの試合のスターティングイレブンを、暗記していました。(そう言えば、その中の一人が、Jリーグのサンフレッチェ広島の監督をやりました)特に一生の思い出は、ゼロックススーパーサッカーブレーメン奥寺康彦さんやニューヨーク・コスモスのニースケンス、当然ベッケンバウアーよりも好きでした)、トヨタカップの第一回と第二回(ジーコが、フラメンゴの10番で来日しました)を、まだ黄色い芝生の取り壊された国立競技場に見に行きました。日本では、ヨーロッパとは気候が違うので、緑色の芝生は育たないと信じていました。

そう言えば、書き出した選手は、全員がバロンドールを受賞しています。さて、今年のバロンドールは、今朝の結果、クリロナで決まりでしょうか?来月のロシア・ワールドカップで、アルゼンチンが優勝でもしない限りメッシの受賞はないのでしょうか?もしかすると、予想外の国が優勝して、新たなヒーローが誕生するかもしれません。個人的には、そろそろアフリカから優勝国が出て欲しいと思います。

いずれにしても、40年後は分かりませんが、今の日本人代表選手には関係ない話ですね。何故なら、3戦惨敗(全敗でなく)は間違いないですから。奇跡的にせめて善戦はして欲しいですが、今更、西野さんはないと思います。どうせなら、森保監督で、久保くん中心のチーム編成をして、次の次、8年後の大会のベスト4を目指す方が、現実的だと思います。