21世紀のレ・ミゼラブル
法と規範の名のもとに、社会からの批判というかたちで、文明とは相容れないこの世の地獄を作り出し、人間の宿命をずたずたにもてあそぶようなことがあるかぎり。貧しさにより男が落ちぶれ、餓えにより女が身をもちくずし、子どもが肉体的にも精神的にも暗い環境でのびのびと成長できないという―――三つの問題が解決されないかぎり。そして、社会が閉塞感につつまれる可能性があるあいだ・・・つまり言い換えれば、広い視野に立って見たとき、この世に無知と無慈悲が残っているかぎり、本書のような作品の価値は失われずにいるだろう。
この文章は、ヴィクトル・ユゴー作『レ・ミゼラブル』の角川文庫版(永山篤一さん訳)から、序文を引用させていただきました。若いころに読んだ岩波文庫版の豊島与志雄さん訳よりも、現代語で、意味がより分かり易いと思います。
どうしようもないほど貧しいにもかかわらず、明るく、楽しく、それでいて仲が良い、強い絆で繋がった本当の“家族”の話でした。子役の二人は勿論のこと、樹木希林さんとリリーフランキーさんの怪演は、まさに期待どおり。それにも増して、安藤サクラさんの自然な演技が、圧巻の一言でした。ちなみに、義父さんの柄本明さんも、物語の展開にとって、重要となる役で出演されていました。また音楽は、元YMOの細野晴臣さん。エンドロールに流れる曲も、ラストシーンの余韻に浸るのにピッタリのとても透明感のある素敵な曲でした。
映画を観た感想は(詳しい内容はネタバレになるので避けますが)、現代における『レ・ミゼラブル』とも言うべき、パルムドールに相応しい大作であり、子役の二人は、“コゼット”と“ガブローシュ”だと思いました。最初に引用させていただいた「序文」は、ユゴー自身が、1862年に書かれたものです。それが、156年も経った今でさえも、当てはまります。そして、そのまま同じ言葉が『万引き家族』にも、該当すると思いました。少なくとも、今の日本、なかんずく経済的には豊かと言われる東京にも、厳然と、“無知”、そして“無慈悲“が、人々やマスメディアが気づかない、または見て見ない振りをしているだけで、確かに存在していることを、全世界に知らしめた映画だと思います。「見えない人々」を「可視化する」ことが、今年のカンヌ国際映画祭の大きなテーマだったようです。その点で、この作品を高く評価して、カンヌ国際映画祭の最優秀賞を授与したフランスの文化レベルの高さには、ただただ感服します。それに対して、ネット上では、フランスの新聞紙が、受賞を祝福しない日本の総理大臣を批判する記事を載せたと、書かれていました。確かに、オリンピックの金メダリストやノーベル賞の受賞者には、総理大臣が自らテレビの前で、直接電話をしていました。国内の貧困層の存在や経済的格差を認めないとすれば、今話題の半島の独裁国家と変わらなくなってしまいます。そうならないためにも、この作品は、間違いなく価値がある映画だと思いました。