長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

今日から一般公開です!

先日、先行ロードショーを観た、是枝監督の映画『万引き家族』について、作家の角田光代さんが、今朝の朝日新聞に書かれた文章の一部を、引用させていただきます。

朝日新聞(2018年6月8日付)朝刊
文化・文芸 角田光代さん(作家) 寄稿「理解できぬ世界は悪か」より抜粋

よく理解できないこと、理解したくないことに線引きをしカテゴライズするということは、ときに、ものごとを一面化させる。その一面の裏に、奥に何があるのか、考えることを放棄させる。善だけでできている善人はおらず、悪だけを抱えた悪人もいないということを、忘れさせる。善い人が起こした「理解できない」事件があれば、私たちは「ほら、悪いやつだった」と糾弾できる。なんにも考えず、ただ、ただしい側にいるという錯覚に陶酔できることができる。そんな、シンプルで清潔な社会への強烈な違和感がこの映画から立ち上がってくる。

多様性を認めることが、成熟した大人であり、文化的に発達した社会だと思います。だからと言って、法や制度を初めとしたルールを守らないことが、許されるべきではありません。むしろ、多様性を認めるからこそ、よりルールの必要性が増すと思います。しかし、その一方で、ルールを運用し、時には権力を行使することで、相手に対して一定の制限を加えたり、一部の権利等を剥奪できる立場の機関の方が、多様性を認めずに、一面的にしか捉えられないとしたら、それは文化的な社会とは、言えなくなるのではないのでしょうか?

是枝監督の『万引き家族』は、今日から一般公開されます。行政機関、特に福祉関係や権力行使に携わる方々は、是非とも、観て貰いたいと思います。そして、ラストシーンで、独りぼっちで遊んでいた少女が、何か気づいたように、廊下の手すりの上を、踏み台に上がって、覗く場面で、彼女は何を観たかのか是非とも考えてみてください。果たして、彼女の前に、“ジャン・バルジャン”や、“マリウス”が、現れるのでしょうか?

そう言えば、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の大きなテーマは、本当に悪人も、元からの善人も居ないと言うものです。“ジャベール警部”の悲劇は、なにもフィクションの世界や、150年前のフランスだけではありません。つい最近でも、自ら命を絶った財務省職員が居ました。とても痛ましいことです。