長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

己の王になる!

「私は、王などではありません」
「人を王と頼むものではありません」

「誰か一人を王として、その言いなりになることも、
 大勢が言うからと言って、そちらにただ無気力に流されるのも、いずれも同じこと。
 貴方の天命を果たすことはできますまい」

「他の誰でもなく、己の王でありなさい」

横浜市民なら誰でも知っている、明治・大正から昭和初期の大実業家、原三渓さんの人物像を描いた
永井紗耶子さんの小説『横濱王』からの引用です。

三渓さん(本名は原富太郎)は、慶応4年に現在の岐阜県で生まれ、東京で女学校の教師をしているときに、横浜の生糸で財を成した大富豪の娘に見初められて、婿養子となりました。そして、引き継いだ生糸貿易の事業をさらに発展させて、富岡製糸場を初めとして全国各地の製糸工場を傘下に収めて、横浜興信銀行(今の横浜銀行)の頭取を務めて、国際貿易都市横浜市の礎を築いた人です。

関東大震災では、復興会の会長として私財を投げ売って、壊滅状態だった横浜の復興に尽力しました。そして、美術工芸品の収集し、文化的価値がある建造物を移築保存するとともに、日本画や陶芸などの芸術家育成のためにパトロンを務めました。その一方で、自ら土地に孤児院などの施設も建てました。

「三溪の土地は勿論余の所有たるに相違なきも、
 その明媚なる自然の風景は別に造物主の領域に属し、
 余の私有には非ざる也・・・」

と言って、まだまだ封建的な時代だった明治39年に、自宅の庭園を一般市民に開放しました。三渓さんは、昭和14年に亡くなりますが、戦後、その庭園は横浜市に寄贈され、現在の「三渓園」となります。

築いた富を“私”するのではなく、“無私”の心で“公”に還元していきました
“己の王になる”とは、自らが私利私欲を抑制して、社会の発展や要支援者への利他の行動を、自身の天命と自覚し、その方向に己を仕向けていく“生き方”だと思います。