長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

まだまだ捨てたもんじゃない

早速、朔立木さんの『死亡推定時刻』を読みました。
以前に読んだ是枝裕和監督の『三度目の殺人』(映画もWOWOWで観ました)のラストで、福山雅治さんが演じた弁護士が、立ち止まって空を見上げた十字路の先を、自ら十字架を背負って歩んでいる弁護士が出て来ました。

刑事被告人として、逮捕され、裁判に掛けられている者は、皆、なんらかの人生の失敗を背負っている。その屈折した気持ちを、拘置所に入っている今は社会とのほとんど唯一の接点である弁護士にすべて向けてくる被告人もいる。そういう被告人には、弁護士は、精神科の看護師のように接しなければならない。対応を誤るとよい弁護ができないだけでなく、場合によってはすべての恨みを向けられると大変なのことになる。

日本にも、こんな弁護士が居るんだ。日本も“まだまだ捨てたもんじゃない”と、思いました。もし、自分が30年前にこの本を読んでいたら、猛勉強して、こういう人の気持ちに寄り添うことが出来る弁護人になりたいと思ったことでしょう。

しかし奮戦も虚しく控訴審で、冤罪の主張は認められず、死刑判決が無期懲役減刑されただけでした(現実は、松潤のドラマのようには上手く行きません)。いろんな大人の事情が、立ちはだかります。広瀬すずさんが、映画『三度目の殺人』で言った台詞「あの場所(法廷)では、誰も本当のことは言わない」に、つながる話だと思いました。その夜、有楽町の居酒屋で泥酔した弁護士先生は、掛かってきた妻の電話に愚痴ります(フジテレビでドラマ化した際に、吉岡秀隆さんが演じたらしいです。なんかイメージできますね)。

「裁判官って何なんだ。江戸時代のお代官様か!ちゃんとした理屈もなしに、人を殺したり、人生を奪ったりできるのか!僕、もう、悲しくって、腹が立って、呑んだくれてます。陽子さん!僕、弁護士嫌になって、酒飲みになりました」

そして、翌日、被害者の母親に電話します。受話器の向こうで泣き続ける場面では、

この人は、揺れている。揺れ続けている。それはこの人が被った苦しみの深さから来る動揺なのだ。いつ果てるとも知れない動揺なのだ。川井は厳粛な気持ちになって、泣きながら訴える被害者の母の声を聞いていた。そして、次第に(自分なんか、自分では何の被害も受けていない、ただ仕事が上手く行かなかっただけの弁護士じゃないか)と思い始めている自分に気づいた。

ラストで、判決の後、接見拒否した被告人から、弁護士宛に送られてきたハガキもステキです。

先生。昨日はごめんなさい。ほんとうはわかってたんだ。先生が悪いんじゃない。裁判官が悪いんだ。先生はおれの命助けてくれた。ありがとう。ほんとうに昨日はごめんなさい。おれ、いいよ。「むき」でもいいよ。死刑にならないんだから。助かったんだから。今日から安心して生きていられるんだから。「りょうちきん」もうないけど、最後の金で、これ速達で出します。先生にこの世で会えてよかったこと言いたくて。先生 元気出してな。

国選弁護人で、このような弁護人先生に出会えることは、ものすごい奇跡のように思えます。
何よりもこの話を、現役の弁護士先生が書いていると思うと、心に灯りが点る感じがします。
余計なことですが、出版社が光文社というのも、なんか良いなと思いました。まったくの私見ですが、新潮社や講談社は、このような本を出さないと思いました。なんとなくですが。