長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

新作が読みたいです!もう書かないのでしょうか?

続けて、朔立木さんの『お眠り私の魂』『深層』『暗闇のヒミコと』を読みました。どれも期待どおりでした!一気に3冊を読破してしまいました(『終の信託』からだと全著作6冊になります)。以下の文章は『暗闇のヒミコと』の単行本表紙の折り返しに書いてある朔立木さんのプロフィールです。

朔立木さく・たつき 刑事事件を主に扱ってきた現役著名弁護士。小説家としてのデビュー作は、‘01年刊行の『お眠り私の魂』。裁判官の知られざる姿を描き、再来年の裁判員制度の施行を控え俄に注目が集まっている。‘04年刊行の『死亡推定時刻』は、昔も今も変わらぬ冤罪の作られ方を描き10万部を超えるベストセラーに。著書は他に、大阪池田小児童殺傷事件の実像に最も迫っていると評価の高い「スターバート・マーテル」が収録されている『深層』、川崎の筋弛緩剤事件を描く『命の終わりを決めるとき』など。世間の理解を超える事件も、ただ犯人を糾弾するのでなく、なぜ起きたかを描ける存在は貴重。本作では、人間が持つ底なしの渇きを描く。

自分の好みとしては、書いた(読んだ)順番と逆です。『お眠り私の魂』は、完全に一方通行の話なので、もう少し周りの人や相手の言動、第三者の視点から描かれると、より重層的に愉しめる気がしました(それをあえてしないで、一つの視点のみで貫き通したところ、それによって、客観的な判断を求められる裁判官が、歪んでいく様がこの作品の肝なんだと思いますが)。この作品を読んでしまうと、誰も裁判官には、なりたくないと思ってしまいます。『深層』は4つの短編集ですが、大学病院薬物過剰投与事件を描いた「針」が一番心に残りました。でも、エンディングがあまりに悲しすぎます(まるで「フランダースの犬」です)。ちなみに、前述の「スターバート・マーテル」とは、ラテン語で「悲しき聖母」という意味らしいです。曲の題名みたいです。
 
そして、最後に読んだ『暗闇のヒミコと』には、例の川井リンメイ先生が、少しだけ(本当に少しだけ)登場します。事件の顛末と裁判の経過が、新聞記者の取材という視点から描かれていきます。特に被疑者のキャラクターが、とても興味深いのですが(高級高齢者施設に働き、世間の注目を集めてネットアイドル並みの支援者とオフ会をやります。まさに、時代を先取り!)、自分は話の本筋ではない、でも実は朔立木さんが一番言いたいことが、主人公の新聞記者と同期の記者とのくだりに込められているように感じます。

「法科なんて、人間について何も知らないで人を裁くことばかり教え込まれるから、司法がおかしくなるんだ。人を裁くならまず文学部を出て、人間の心を知ってから裁け」

「おれも司法クラブにいたとき、少しは勉強した。近代刑法ってなんだと思う。完全な理性的な人間をぜ前提にして罪と罰を決めている、特殊な思想なんだ」「特殊かよ」「そうさ、実際の人間は完全な理性的な人間なんかじゃない。もしそんな人間がいたとしても、少なくともそいつはわけの分からない犯罪はやらない。見入りの大きい経済犯罪ならやるとしてもだ」

コペンハーゲン症候群」と同じようなもので「オスロ症候群」「ヘルシンキ症候群」もありそうです。患者と主治医、依頼者と弁護人など。最近、ドラマ化された生活保護ケースワーカーと受給者にもありです。作中で同期の記者とやりとりする場面が、もう1回あります。2回目のとき、果たして彼は主人公に何を求めたのでしょうか?よく似た場面が『お眠り私の魂』にも。それが話の流れでは唐突なので戸惑いますが、最後まで読み終わってみれば、絶妙な挿話なんです。組織の中で自己の信念を貫くことの辛さや孤独感、そして救いようがないほどの絶望が、強く胸に残りました。

『暗闇のヒミコと』の刊行から11年が経っています。朔立木さんは、もう小説を書かれないのでしょうか?先日、大口病院の看護師が逮捕されました。相模原市の障害者施設では、まさに“世間の理解を超えた”痛ましい惨劇が起こりました。さらに座間市でも。是非、朔立木さんが描いた小説が読みたいです!まさか、あまりに赤裸々に、取調べや裁判の内情を描き過ぎて、お立場が悪くなって書けなくなった。なんてことは、ないですよね?川井リンメイ先生の活躍を、もっともっと読みたいです!(でも、冤罪事件じゃないとダメですね)