長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

親バカ、そして親不孝

門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』を読みました。
宮沢賢治の生涯を、父親の政次郎さんの視点から、自身の揺れる内心の葛藤とともに記した小説です。親から見れば、子どもは幾つになっても、子どもなんだとあらためて思いました。

神格化されてない宮沢賢治、はっきり言ってしまえば、社会に適応できず、成人してからも自立が出来ていない“ダメ人間”として、描かれています(今なら、コミュ障⁉)。そんな賢治をずうっと心配し、見守り、ときには厳しい言葉で叱責しながらも、結局は経済的な援助をして、最後まで献身的に支えていきます。そして、賢治が幼少の頃、そして晩年も、自分のことを後回しにして、傍に付き添います。完全に親バカです。でも、最後まで読み終わってみると、この親だから、この子なんだと思いました。これほどの親バカが居たからこそ、賢治はあのような名作の数々を、書くことが出来たんだと思いました。

「…んだはんて、おらの誌や童話は、ほかの誰にも似ないものになったじゃ」(中略)「そのために、おらは、勘ちがいもしました」「たかだか二冊出しただけで才能があると思いこんで、教師の仕事をやめ、その後も詩作に集中せず……お父さんには、迷惑を……」(中略)「だめです。傲慢の罪のむくいです」「机に向かえません」(中略)政次郎は頭にきた。さらしを丸めて右手ににぎると、頬をたたいて、「あまったれるな」「え?」賢治はまだたきした。政次郎は二度、三度とたたきながら、厳父の顔で、「くよくよ過去が悔やまれます。机がないと書けません。宮沢賢治はその程度の文士なのか?その程度であきらめるのか?ばかめ。ばかめ」内心では、(何もそこまで)自分でも嫌になるのだが、どうしようもなかった。口も手もやまない。父親の業というものは、この期に及んでも、どんな悪人になろうとも、なお息子を成長させたいのだ。「お前がほんとうの詩人なら、後悔のなかに、宿痾(しゅくあ)のなかに、あらたな詩のたねを見いだすものだべじゃ。何度でも何度でもペンを取るものだべじゃ。人間は、寝ながらでも前を向ける」賢治は、目を見ひらいた。わずかな瞼のうごきだったが、たしかに瞳は、かがやきを増した。

でも、親より先に逝くほどの親不幸はありません。妹のトシさんもそうですが、悲しいことです。
題名にもなっている『銀河鉄道の夜』は、最後の最後、賢治の死後にたった1ページしか出てきません。

「おじいさん。さっきのお話、何という題ですか」「さっきの話?」「ええ、あの教室で、カンパネラとジョバンニが…」政次郎はにっこりした。箸を置き、えへんえへんと咳払いして、「『銀河鉄道の夜』」「ふたりは最後、どうなったのです?」「わからねぇ。未完成だから」「未完成?」純蔵は、そんなものが本になるのかとでも言いたそうに首をかしげた。政次郎はうなずいて、「んだじゃ。君たちの伯父さんは悪いやつだ。あれだけ原稿に手を入れたくせに、幕を引かねぇのす」「どうすればいいのです」と、純蔵は顔をくもらせた。子供はいつも結末をもとめる。宙ぶらりんは不安なのだ。政次郎が、「お前たちが書けばいい。ここで」こめかみを指してみせる(後略)

こうして、賢治が遺した物語は、今も、そしてこれからも読み継がれていきます。それでも、親としては、後世に名を残すよりも、むしろ無名でいいので、自分よりは後に逝って欲しいと思います。