長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

サラリーマン、そして世の父親たちの夢!

白石一文さんの『一億円のさようなら』を読みました。
ある日、突然、億万長者になったとしたら?自分は、どうするか?
きっと、誰しもが、これまでに一度や二度は、考えたことだと思います。

自分は、宝くじも、競馬も、株も、仮想通貨もやりません。周りがが熱くなった姿を見てしまうと、冷めてしまうからです。だから、一発、大当たりを夢見るなんてこともありませんでした。
それでも、ときに「もしも道端に一億円が落ちてたら…」とか「アラブの大富豪が現われて、代わりに家族を養ってくれると言ったら…」なんて、考えたりはします。
自分を縛っているものから、解き放ってくれる気がします。本作品の主人公の加能鉄平もそうです。

「家族」という二文字を見て、真っ先に思い浮かぶのは「愛情」でも「希望」でも「人生」でも「目的」でもなかった。鉄平にとって「家族」とは、「義務」と同義であった。妻にしろ、子供たちにしろ自分が作り出した以上、最後までできる限りの庇護と支援を与えなくてはならない。それが人間としての務めなのだと思う。だが、もしそうした庇護や支援が不必要になれば、そこで自分と彼らとの関わりも自然消滅する。家族とは本来そういうものだと鉄平は心の奥深くでずっと感じてきた気がする。

その一方で、誰しもが、“一人では生きられない”という、矛盾を抱えています。

人間同士もたれ合って生きているといつの間にかこうやって必要以上に臆病になってしまう。
確かに人間は群れをつくることで我が身を守り、分業を発展させ、この世界に君臨するまでになったが、その一方で個体としての生命力を著しく失ったような気がする。動物たちは食物や繁殖という生存の決定的な部分で諍うことはあっても、それ以外では常に超然と生きていける。飢えているわけでもなく、異性を巡って対立しているわけでもないのに同じ種同士で傷つけ合って、果ては自らの生命を投げ出すような愚かな行為に及ぶのはおそらく人間くらいのものだろう。それもこれも"一人では生きられない"という生物としての致命的な不完全さが、人間に無用な恐怖を植え付け、不要な闘争へと駆り立ててしまうためだ…。

とにかく話が面白くて、単行本で540ページと結構な厚さですが、一気に最後まで読んでしまいました。
表紙に、作者自身と担当編集者が書いているとおりに、白石一文さんの最高傑作かもしれません。

ちなみに、本筋から脱線しますが、本作品にも“サイコパス”が登場します。

この世界には更生不能な邪悪な人間が一定数いる。
彼らの多くは凶悪な犯罪者として法の裁きの対象となるが、なかには、そうした目の粗い監視網をかいくぐって平気な顔で社会生活を営んでいる者たちもいる。そして、さらにそのうちのごく小数の人間たちは、この世界の支配層にもぐり込み、大多数の臆病だが善良な人々を自分たちの欲望の生贄として、何の痛痒も感じることなく不幸のどん底に追い込んでしまうものだ。彼らには一般的な感情というものがない。というよりも、一般的な感情を自分自身の都合に従って何時いかなる時点でもまるでライトのスイッチでも切るように切断してしまうことができるのだ。(中略)自分にも似たような側面があるのを鉄平は知っている。たが、彼はそうやって自らの感情のスイッチを欲望のためにあっさりOFFにするような真似は絶対しないように心がけてきた。
―どんな理由があったとしても、共感や思いやり、同情や憐憫といった感情のスイッチを切った瞬間、人間が人間でなくなる。鉄平はそう考えているからだ。

何年かして、本作品の続きを読みたいと思いました。
今度は鉄平が、邪悪な人間と真っ向から闘う話を期待します。それと、”鉄平“の命名の因縁についても、まだ奥がありそうですが、どうでしょうか?