サイコパスが全開!サバイバーの反撃?!
呉勝浩さんの『ライオン・ブルー』と
『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』を続けて読みました。
どちらも、簡単に人が殺されて、サイコパスが全開って感じです。
前者が“悪徳警官”、後者が“洗脳”“DV”“毒母VSメンヘラ娘”の話です。
ジャンルとしては本格ミステリーなので、謎解きの面白さはあります。
真相が分かると、間違いなく、読み終わったところをまた読み直したくなります。
でも、それはダメでしょうと言うくらい、殴る、蹴る、虐める、
そして最後は拳銃で撃ち殺します。もう完全に、理性のタガが外れてしまっています。
人は日常的に、一方的に暴力を受け続けていると、ついには倫理観や正義感が、
これほどまでに“歪む”のかな?って思いました。
どちらの話も、生まれつきのサイコパスではなくて、むしろ自分を守るために、
感情のスイッチをOFFにして、思考も停止させることが当たり前なってしまった、
哀しい“サバイバー”の話です。
直接的な暴力が使えないぶん、やり方は陰湿になる。
「特訓」と称して腕立てやスクワットを痙攣するまでさせたり、
逮捕術の「予習」と称して代わる代わる関節技をかけて痛めつける。
「警官に向かない奴に引導を渡してあげている」という歪な大義名分が
罪悪感を薄めさせる。
誰もがイジメグループを恐れ、見て見ぬふりをし、あるいは間接的に
イジメに手を貸していた。
追い詰められて消えていく同級生を、嘲笑とともに見送っていた。
彼らに理不尽な暴力を浴びせ続けた人間、またそれを指示してケシ掛けた人間、
さらにはそれを見て見ぬふりをした人間こそが、本当のサイコパスだと思います。
「なあ、澤登。守りたい人がいるっちゅうのは、意外と悪ないぞ」
一方で、彼らの存在に気付いて、声を掛けて、助け出してくれる人間は、
あまりに希少な存在です。でも必ず現れます。そうなると、サバイバーも負けていません。
助けてくれる人、自分の行いを責めないで受け入れてくれる人、一緒に行動してくれる人、
守りたい人やものが見つかったときに彼らは変わります。
自分の意志で、自分自身を“生きぬく”と決めた途端、それまでの受け身から一転して、
目の前の相手だけでなく、もっと大きなモノに対して反撃に出ます!
人間って強いなと思いました。
もしも、自分が自分になった場所を故郷と呼ぶのなら、耀司のそれは
あの土地をおいてほかにない。おれは背負っていく。抱えて進む。
きっとその先に、長原とも晃光とも違う、本当の澤登耀司がいる。
汚く醜い獣であっても、そいつに会いたい。
呉勝浩さんは、長い間、コールセンターの仕事をされていたそうです。
その経験から人間の心の闇を、真っ直ぐに描くことができるのかもしれません。
ちなみに、題名の『ライオン・ブルー』とは、警察官の制服のことだそうです。
「兄ちゃん、それ、かっこええな」きらきらした目で、耀司の制服を指してくる。
「そうか?」「うん。青がきれいや」いつかおれは、自分の罪にしっぺ返しをくらうだろう。この先、どんな幸せに包まれても、そのたびに心の底にこびりついた、傷痕が疼くだろう。(中略)決して逃げ切ることはできないのだ。
それでも耀司は少年に向かって、にっこりと笑ってみせた。
一方『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』の方は、題名そのままで
主人公が最低の落下をした後は、やけくそに突っ走れ!という思いを込めたそうです。
澤登耀司と晃光、雛口依子と葵の今後が気になります。是非!続編を期待します。