長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

サバイバー、そして人間のふりをして生きる人々

三浦しをんさん原作の映画『光』を、例によってWOWOW放送の録画で観ました。
一言で言うと、まったく“救い”がないサバイバーたちの話でした。

ちなみにサバイバーとは(以前にも書いたと思いますが)、ウィキペディアよりー
 サバイバーズ・ギルト (Survivor's guilt) は、戦争災害事故事件虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。「サバイバー」 (survivor) は「生き残り・生存者・遺族」を、「ギルト」(guilt) は「罪悪感」を意味する英語。

そう言えば、映画『光』と言えば、ほぼ同じ頃に、河瀬直美監督の作品もありました。
こちらは、視覚障害者向け映画の音声ガイドボランティアと視力を失いつつあるカメラマンの話です。

一方で、三浦しをんさんの『光』の方は、大森立嗣監督作品です。大森立嗣監督は「まほろ駅前」シリーズの監督でもあります(ネット情報では、前衛舞踏家の麿赤兒さんの息子さん、俳優の大森南朋さんのお兄さんなんですね)。本作品にも、出演している瑛太さんの“狂気”さえ感じる、無邪気な幼稚性を残した“行っちゃったヤバイ演技”が、特に際立っていました。それに対峙するのは、あの“中堂さん”ならぬ井浦新さんが、心の奥底に深い闇を抱えながら、そのことをひた隠して、普通の真面目な公務員の夫、良い父親のふりをする感情を抑えた無表情の演技が、見応えがありました。

「僕たちは、人間のふりをして生きている」

ただ個人的には、音楽が自分の趣味でありません。不快感を増大させる効果は十分ですが、出来れば『バーニング』のように静かな曲で、映像と演技で不快にしてもらうの方が好みです。そもそも、その場で音楽によって不快にならなくても“児童虐待”“暴力”“性的暴行”“災害”“貧困”“脅迫”という内容ばかりで(題名の「光」は何処にもありません)、十分伝わります。また、これもあくまでも個人的感想なのですが、女優さんたちは、無名でも良いので、“演技派”と言われる方だったら、もっと良かったと思います(お色気重視だったら、もっと見せた方が)。それでも劇場公開時、激しいテクノ音楽と有名な女優さんの濡れ場が、興行的な成功に繋がったみたいです。