長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

何のために?誰のために?そして想いが引き継がれる

呉勝浩さんの作品のうち、まだ読んでいない最後の作品『蜃気楼の犬』を読みました。
「現場の番場」と呼ばれるベテラン刑事と、駆け出しルーキーの船越「少年」刑事のコンビを主人公とした、五つの連作短編集です。なので、他の長編の作品とは少し趣きが違います。
テーマは、以前に読んだ『ライオン・ブルー』と対を為す、警察の“存在意義”を問う作品です。

常に青臭い“正義”を振りかざす船越に、番場が注意をします。

「酔っ払うなら酒にしとけ。正義に醉うと、タチが悪い」「そんなつもりはないですけど……」むっとした顔が、急に真剣な眼差しに変わった。「番場さん。お言葉ですが、正義を信じずにこの仕事をやっててどうするんです。ウチの会社はこの国で唯一、人殺しが許された組織じゃないですか。正義もなしに、そんな権力を行使されたらたまらないでしょう」(中略)若さとはこういうものなのかもしれない。自分が正義であるために外部に悪を求める。

それでは、番場の“正義”とは?

若い女性のバラバラ死体が見つかるような街で、子供を産むのはどんな気持ちなんだろうー。

正義など、どうでもいい。船越少年にお任せする。俺はただ、可愛い嫁から幸せを奪う可能性を、迷わず排除するだけだ。明日も明後日も。

二回り年下の身重の愛妻コヨリを守る、それだけのために、犯罪者を捕まえると言い切ります。
しかしその一方で、船越に対しては、自分が失くしたものを持っていると感じています。

だが納得がいかないものは納得がいかないのだーそんな顔が妙に眩しい。番場が経験と引き換えに摩耗させた何かが、船越の中でキラキラと輝いている。(中略)やがて、誰だって摩耗するのだ。失われた輝きをどこに見出すかーその岐路に立って船越もまた思い悩む時がくるだろう。

さらに別の場面では、こう思います。

やがて気がつくことなのだ。人間の裏表、被害者と加害者の曖昧さ。割り切ることのできない善悪の泥土でもがいた果てに、たとえば番場のような刑事が出来上がる。それを誇らしいとは思わないが、いずれそうなることだけは間違いない。そうなれない者は、警察組織から脱落していく。

そして、二人は距離を置くことになり、愛妻が義兄に連れられて家を出てしまいます。
そのような状態で、五つ目の事件、表題の『蜃気楼の犬』が起きます。そして、番場の“信念”が、揺らでいきます。果たして、自分は“何のため”“誰のため”刑事を続けているのか。自分を見失いそうになる番場に、船越が真っ正面からぶつかっていきます。

「番場さんならどう考えるか、考えてみただけです」
「けど俺は、現場の番場の弟子なんです」

本作は“師匠から弟子へ”と、想いが次の世代へと引き継がれていく“師弟”の血脈の話でもあります。

「私はね、彼女たちを守るためならなんだってする。そのために刑事をやっていると言っていい」彼女たちに降りかかるかもしれない不幸の種を、一つずつ摘んでいくために。「だから私は、刑事でい続けなくてちゃならないんです。そして何年かして、歳をとっちまって、自分がその資格を失くした時、自分の力じゃ誰も守れなくなった時、それでも守ろうと思うから、守らなくちゃならないから、だから後輩を育てているんです。そいつらが、ちゃんと正義をまっとうする刑事であるために、私もそうでなくちゃいけなかったんです」

ー正義とか治安とか、そんなのは守りたい誰かがいて初めて成り立つんだ。足は真っ直ぐ、コヨリがいるであろう場所へ向かう。俺が守る正義などしょせん、蜃気楼だ。曖昧、不確かで、揺れ動く、幻に過ぎない。けれどそれは、絶対に必要な幻だ。そして蜃気楼は、太陽がなくては消えてしまう。

刑事とは、蜃気楼のような“正義”を信じて、それを守り続ける“犬”である、という意味が題名には込められています。これで、呉勝浩さんの発刊されている作品を完読しました。