長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

過去と《今》、そして未来。行けるところまで行ってみるしか

呉勝浩さんのデビュー作『道徳の時間』と、二作目の『ロスト』を続けて読みました。
『道徳の時間』の巻末には、江戸川乱歩賞を受賞したときの審査員選評が載っていますが、その中には、かなり厳しいコメントもあります。

謎の提示の仕方がうまいと感じた。次々と投げかけられる謎で興味が引かれる。(中略)たが、その興味は、残念な形で裏切られる。広げた風呂敷のたたみ方がもう少しうまかったら、私の評価も高かったと思う。ー今野 敏

それに対して、プラス評価の選評としては、

この作者には期待がおおきい。全作品中唯一、ただミステリーを書きあげるのではなく、作品の向こう側にある人間をしっかり描こうという執念を感じたからだ。ー石田 衣良

自分は、石田衣良さんの意見に同意します。特に『ロスト』の方がより強く、そのことを感じました。
呉勝浩さんが描こうとしたのは、いわゆる“本格的ミステリー”の謎解きではなく、人間の合理的な思考に相反するところの“衝動”、さらに『ロスト』では“檻のない牢”と表現されたものではないでしょうか?それは、これまで読んだ他の作品にも共通のメッセージだと、自分は受け取りました。

罪を償うとは、何を指すのか。赦しとは何なのか。終わりはどこにあるのか。(中略)この喪失は、罪がもたらす罰なのだ。だが、それは決して、物々交換ではない。(中略)自分の過去からは卒業できません。この檻のない牢の中で、俺は生き続けていくんです。

もしかすると『道徳の時間』と『ロスト』、どちらも題名が一番の謎解きなのかもしれません。

「(前略)過去に囚われ《今》を犠牲にしていた。そういうのは嫌いなんです、私。《今》は、未来のために犠牲にすべきでしょう?」(中略)「お金の話だけじゃない。彼女たちは未来が遠過ぎて《今》に窒息していた。例えば十年、死んだように生きるなら、たった一年、全てをなげうった方がいい。私は、未来のために今を犠牲にすることを否定しない」「ーせやけど、減る」「………」「犠牲にした《今》の重みで、何かが、減る。違うか? 

過去に囚われず、《今》を未来の犠牲にもしない生き方とは?
それは《今》、この瞬間を悔いなく、精一杯生きることだと思います。そのためには、例えぐらついたとしても、迷ったとしても、とにかく最期の瞬間まで、“自分自身を信じる”ことだと思いました。

「……証拠がありますか?」「まったく。だからこれは、刑事の勘です」それでも自分は、降りる気にはなれない。行けるところまで、いってみるしかない。間違いだったとしても、敗れ去るのだとしても、いつの日か、この時を振り返り、せめて苦笑いを浮かべるくらいはしたいから。「自分の勘と心中できるようになったら、一人前です」「出世はできないでしょうけど」

そして、時にぐらついて、迷いながらも、最期は“自分自身を信じる強さ”に共感しました。

「……証拠がありますか?」「まったく。だからこれは、刑事の勘です」それでも自分は、降りる気にはなれない。行けるところまで、いってみるしかない。間違いだったとしても、敗れ去るのだとしても、いつの日か、この時を振り返り、せめて苦笑いを浮かべるくらいはしたいから。「自分の勘と心中できるようになったら、一人前です」「出世はできないでしょうけど」

たった一度だけの人生。何があっても、自分自身で振り返ったときに、後悔したくはありません。
麻生主任と三溝のコンビは最高です。是非、シリーズ化による次回作を期待します。