長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

人に愛されること、自分を愛すること

島本理生さんの『ファーストラヴ』を読みました。
前半はゆっくりとした感じで、中盤になると、幾つかの?マークが一つ、また一つと増えていきます。
そして後半からは、一気に最後まで読み切らせてしまうのは、さすがだと思いました。

内容は、父親を殺害した少女と臨床心理士、そして国選弁護人の話です。

「真壁先生は日頃からカウンセラーを通して、ひきこもりのお子さんやその親御さんに向き合われているんですよね。真壁先生の目の見て、最近なにか気付かれたことはありますか?」
私は表情を引き締めて、そうですね、と答えた。
「皆さん、愛とは与えるものだと思っていらしゃいますよね。じつは、それが原因だったりすることもあるんです」
「え?いや、それは間違いなんでしょうか?」
「けっして間違いではないですけど、正しくは、愛とは 見守ること、なんです」 

愛とは、「与えるもの」ではなく「見守ること」。 
是枝裕和監督の『万引き家族』の小さい女の子を思い出した。『三度目の殺人』の脚の悪い女の子とも重なります。本来、自分を守ってくれる親に、守ってもらえなかったとしたら、子どもはどうするか?

私が嘘をつくことで母は安心していました。

悲しいことです。でも、子どもは必死に親に合わせようとします。そうしないと、生きていくことができないからです。さらに、責められることで、しばしば自分が負う必要がない“罪悪感”を負わされていきます。その結果、現実の出来事や人間関係に対する“認知”に“歪み”が生じます。でも、なかなかそのことには、自分一人では気付くことができません。そうした“生きづらさ”を抱えたまま、大人になります。

私は立ち上がると、本棚の前に移動して一冊の本を抜き出した。高校生で初めて手に取った院長の著書。その中で初めて、サバイバー、という言葉に出会った。(中略)名付けとは、存在を認めること。存在を認められること。

Wikipediaによると
サバイバーズ・ギルトSurvivor's guilt)は、戦争災害事故事件虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。「サバイバー」(survivor)は「生き残り・生存者・遺族」を、「ギルト」(guilt)は「罪悪感」を意味する英語。

たぶん、人は他人から認められることで、自分が何者なのか、自意識の幕に覆われていない“ありのまま自分”を“知る”ことができます。そして、“生きづらさ”の発生源が分かれば、少なくとも、今居る場所や進むべき方向が、見えてくると思います。自らを縛っていた“目に見えない鎖”、それを外すことができる“鍵”、それが“歪んだ愛”と“正しい愛”ではないでしょうか?

題名の『ファーストラヴ』とは、初めて出会う“愛”、その“愛され方”によって、人は幸せにも、不幸にもなる。そして、人はこれまで正しく愛されなかったとしても、一度でも、他人から愛され、認められていることを実感できたら、自分で自分を愛することが出来ます。そうなれば、必ず自分の周りには、自分を見守り続けてくれている人が居ること、これまでも何人も居たことに気付きます。
そして、人は変わることが出来る。そう思える作品でした。