長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

生き方は変えられなくても、生活を変えることは出来る

宮部みゆきさんのおなじみ、杉村三郎シリーズの4作目『希望荘』を読みました。

前作の『ペテロの葬列』において、まさかの展開で、大きく生活を変えることになった杉村三郎。
その新生活を描いた短編集です。

人は幸福を求め、そのために努力する。だが万人にとっての幸福などない。人は楽園を求め、必死で歩み続ける。だが万人にとっての楽園もまた存在しない。
愛し合う男女のあいだでさえ、求めるものが食い違い、すれ違ってゆく。努力は空しく、幸福は幻影のように消え、歩んでも歩んでも、楽園はいつも彼方だ。

シリーズ化された主人公の基本設定を、根底から覆してしまったことに、かなりの衝撃を受けました。
それが本作を読んで、あらためて感じたことは、杉村三郎は“生き方”を変えることが出来なかった。
だから生活を変えるのが、“必然”というか“不可避”だったのかな、と思えます。それは、まるで“万人の幸福”を求めて、“万人にとっての楽園”=イーハトーヴを夢見ながらも、挫折して、若くして亡くなった宮沢賢治の“生き方”を思い出します。彼も、貧しい人々に対して、自分が裕福な家に生まれたことに、強い負い目を感じていたようです。

「杉村さん、浮かない顔をしていますね」「またぞろ事件に巻き込まれてしまったからですか」
私はかぶりを振った。「私は、自分の故郷にまで事件を招き寄せてしまうほど呪われているんだと思っているからです」半分以上、本気でそう言ったのだ。それで気分が沈んでいたのも本当だ。
蛎殻さんの坊っちゃんは笑わなかった。
「今回のことは、杉村さんのせいじゃありませんよ。でも、そう思ってしまう気持ちはわかります」
そして、にっこりした。
「だったら逃げないで、その呪いとやらに立ち向かってみたらどうですか」驚いて、私は彼を見た。

杉村三郎も前作までは、どこか無理して、我慢していました。それが、彼の“個性”だと思っていました。ところが、本作では、新しい生活を自らが自分の意志で“仕事”を選んだことで、杉村三郎の“本来の個性”が、よりハッキリと出ています。自信に裏付けされた、前向きな発言が増えた気がします。

「僕はそうは思わない」私は肩をすくめてみせた。
「君が口が悪いのは、自分自身に対して残酷、だからじゃないかな。いつも自分で自分に怒っているから、誰に対しても、ものの言い方がきつくなるんだ」
さほど強い一撃を繰り出したつもりはなかったのに、明日菜はすうっと引いてしまった。
「ごめんよ。でも君は、君自身が思っているよりも、ずうっといい娘だ。外見だって捨てたもんじゃない。僕の知り合いが君を見かけて、美大生だろうと言っていた。そのブラックな古着のファッションが、それなりにキマっているからじゃないのかな」明日菜はしおしおっと笑った。

話は変わりますが、実は自分も、今回これまで自分で決めていた“ルール”を一つ辞めました。
それは一番好きな作家「宮部みゆきさんの新作は、必ず文庫本の新刊が出た時に読む」というものです。些細なことだと、思われるでしょうが、自分自身ではかなり強固な“ルール”でした。2005年の『模倣犯』からなので、13年間27作品まで続けていました。

実は、本作の『希望荘』も今回の文庫新刊にあたって、アマゾンに購入の予約をしていました。
それが急に思い立って、発売2日前に注文をキャンセルして、図書館で単行本を借りて読みました。
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これには、前段の話があります。
それは、今年のお盆休みに、家にあった、自分の命の次に大事にしていた“蔵書コレクション”、大学生になる前から読んできた本、すべてブックオフに出したことです。段ボール箱10箱、文庫本と単行本、新書を合わせて974冊ありました。そのうち値段が付いたのが329冊で、6,631円になりました。その中には、宮部みゆきさんの全作品はもちろん、村上春樹さん、白石一文さん、山本文緒さん、帚木 蓬生さんの全作品(この4人は、単行本の新刊を買っていました)を含みます。
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いわゆる“断捨離”“終活”。東京オリンピックまでに、衣服や書類関係を処分しようと思います。
目指すは、杉村三郎以上に“生き方”を変えられない男、人呼んで“フーテンの寅”さん(50周年を記念した新作が出来るそうです)!トランク一つだけで、身の回りの物が全部収まってしまうのが理想です。だから、これからは本を買わないことに決めました。ちなみに本作にも、今後、杉村三郎の助手になりそうな“フーテン”、竹中家の三男君トニーが登場します。

杉村三郎シリーズの最新作『昨日がなければ明日もない』が、近々発売されます。早速、図書館に予約して、読みたいと思います。とても楽しみです。もしかすると、いずれ杉村三郎は“砂男”とバッタリ再会するのかもしれませんね。なんとなく、そんな気がします。