長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

ニュータイプ?それとも…

天童荒太さんの『ペインレス』を読みました。
読後感を、一言で言うと「消化不良」です。その理由は、主人公の2人があまりにアブノーマル過ぎて、共感が出来ないことからです。昔、ドリフターズのコントで「もしも○○な何々が居たら?」というのがありました。興味深くはありますが、飲み込むには「???」が残ってしまう感じです。

「実の母が死んでも胸は痛みませんでした。
 わたしの一番の理解者でしたから、残念だとは思いました。でも、つらくも悲しくもなかった。
 (中略)
 悲しみやつらさは、常識的に認知されている感覚とはニュアンスが異なり、面倒だとか、
 もったいないとか、残念といった感じで受け止めています」

生まれつき“心の痛みを感じない”麻酔科医の野宮万浬が、海外で事故に遭って“身体の痛みを感じない”貴井森悟を診察することが話の中心です。そもそも“心の痛みを感じない”人間が、人を愛することが出来るのでしょうか?相手の心の痛みが分からないことは、脳の機能“障害”なのか、それとも人類の新たな“進化”なのでしょうか?万浬は、そう問い掛けています。

「人間の脳のなかで、心の痛みに関与する部分が死滅している可能性はどうでしょう。
 人類の脳は、始まりからいまの状態だったわけではない。
 本能的な欲求や感情を司る古い脳の上に、理性や知性を司る新しい脳が発展的に成長して、
 いまの人類がある。脳の成長がそれで止まったわけではなく、なお発展の途中だとしたら……」

天童荒太さんは、インタビューで、“万浬”のネーミングについては、「進化の象徴であり、一万海里の先にいる女性のイメージ」だと答えています。文明や社会の有り様を“痛み”から考察します。

「この世界の法律も常識も、痛みを基に作られています。社会や人々に痛みを与えかねないものは、
 規則やしきたりで縛る。逆に、規則やしきたりを守らなければ、痛みを与えると宣告することで
 秩序を保つ。社会を発展させてきた道具のほとんども、心身の痛みが裏打ちとなっている。
 この世界のあらゆることが、人間の痛苦を基礎に成立しています。政治形態や経済の仕組みが
 変わろうと、信仰の対象が違おうと、痛みに基礎を置く世界のかたちは変わらない。
 でも……人々が痛みから解放されたらどうでしょ」

テロリストの常識を逸脱した自爆行為も、信仰や信念により“痛みからの解放”によると言えます。もう一人の主人公である森悟が、紛争地帯に赴く企業戦士であり、彼がそこで体験し、目にした心が痛む現実、そして爆弾テロの犠牲者になってしまうことにも、二人を対比させる象徴の意味があると思います。

「あなたと話すの、好きよ。ちゃんと会話になるから」
「壁を越えて、こちら側に来て欲しい」

エピローグで、万浬は、新たな“出会い”と“新しい種の兆し”を求めて、渡米します。
もしかしたら、続編があるかもしれません。
是非、彼女がたどり着いた先にある“人類の未来”を、見てみたいと思います。