長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

まだサッカー文化の発展途上国

とても残念でなりません。ポーランド戦の最後の10分間について、アンケートを取ると賛否両論で、二分するようです。しかしながら、マスメディアやサッカー関係者からは、ほぼ肯定又は容認が多いような気がします。

今朝の朝日新聞の「天声人語」では、

サッカーにとって時間とは何か、音楽学者の細川周平さんが哲学者の言葉を引きながら「緊張し、収縮し、強度を増した持続」だと定義している。一つのボールをめぐり、緩むことのない時間が続く。そして突然、ゴールという「巨大な時間の停止」が訪れる。一方でこの競技は、ときに露骨な時間稼ぎなされる。それが始まる時、「真の意味でサッカーは終わる」と細川さんは書いた(『サッカー狂い』)。とすれば、W杯日本対ポーランド戦で、私たちはサッカーならざるものを見せられた。

と書いています。あの時間帯、お互いに苦しかったとは思いますが、最後の最後まで、勝利に向けてベストを尽くして欲しかったと思います。仮に可能性は低かったとしても、選手たちを信じて、追い付いて、出来れば勝って、自力で決勝トーナメントを決めるべきだったと思います。

一方で、テレビの報道番組で、ある有名なジャーナリストが、以下の発言をしました。

イギリスもロシアもとにかく自分とこのスポーツだと思ってるわけ。それをね、そこをうまく、こんなに狡猾(こうかつ)に日本にしてやられたってことが悔しいんですよ。日本がこれだけね、うまくサッカーのルールを利用したのがシャクなんですよ。だから怒ってるんですよ。すごく認めてるし、人種偏見、ある意味

言葉尻を捉えるわけではありませんが、あの10分間は誰が見ても「露骨な」試合放棄であって、とても「狡猾に」「うまくルールを利用した」とは見えませんでした。サッカーの試合を沢山観たことがあれば、攻め続けながらも、失点や警告カードを貰うリスクを最小限に抑えて、狡猾に時間を稼ぐチームがいくらでもありました。そして、「ルール」ではなく、ボールをうまくコントロールして、ゲームの流れを支配することで、キチンと目的を達成出来るチームがありました。そのようなチームこそが、決勝トーナメントに進む、ベスト16に値するチームだと思います。だから、イギリス人にしても、ロシア人にしても、「悔しい」とか「シャク」ではなく、日本代表のサッカーの質が問われていると思います。昔、日本製の自動車やカメラ、電気製品の海外輸出が急激に増えたことに対して、“エコノミックアニマル”と非難されたことにも、通じるのかもしれません。

同じ今朝の朝日新聞の社会面には、「パス回し サムライらしくない?」との見出しで、宮城県南三陸町東日本大震災後に長谷部が支援を続けるあさひ幼稚園では、ポーランド戦のブーイングの場面をカットして、園児に見せたという記事が載っていました。

子どもたちに見せられないような試合は、絶対に、やってはいけません。ロスタイムに失点をして、W杯出場を逃した“ドーハの悲劇”を引き合いに出して、日本サッカーの成長だと言う意見もあります。そのことは否定はしませんが、やはり「試合放棄」を肯定してしまえば、サッカー文化の発展を停めることになると思います。

“日本サッカーの父”と言われた、クラマーさんの言葉として、「サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする」が有名です。ようやく日本のサッカーも、“子ども”から“大人”へと、一段上がるときなのかもしれません。でも残念ながら、“紳士”になるには、まだまだ時間が掛かりそうですね。