「常在戦場」とは?
役所広司さん主演、司馬遼太郎原作の映画『峠 最後のサムライ』を観ました。
2020年の9月に公開予定だったのが、コロナ禍の影響により3回の公開延期となり、
奇しくも、ロシアによるウクライナへの侵攻中での封切りとなったことに、
不思議な巡り合わせを感じずにはいられません。
もし、自分がウクライナ人だったら、
もし日本が他国からの侵略を受けたとしたら、自分はどうする?
逃げる?それとも銃を持って戦う?
その時の自分の立場や年齢、家族の状況などによって、
単純に決められることではありません。
役所さんが演じた長岡藩の家老 河井継之助。
その潔い覚悟には、心に響くものがありました。
避けることが出来ない歴史の大波に襲われた時、
その中でも、来たるべき未来を真っ直ぐ見通した上での確固たる判断していく。
それは、長岡藩に代々伝わる家訓『常在戦場』があってのものだと思います。
いつ、いかなる時でも、常に戦場に居るのと同じ緊張感と覚悟を持って
日々を過ごすこと意味しています。
『人には、それぞれ天から与えられた役割がある』
『命なんざ、使う時に使わねば意味がない!』
『行うべきことを、行わなければ、後の世はどうなる?』
その心構えと日々の修練があればこそ、
非常時であっても、平常心で、大事に当たれるのだと思いました。
自分もそのように、在りたいと思いました。
また、そんな彼を信じて、離れても待ち続けた妻の松たか子さんに、
義母が言った言葉も素敵でした。
『愛とは、互いに見合うことではなく、
同じ方向を見つめること』
映されて終わります。
かたちこそ深山がくれの朽木なれ
心は花になさばなりむ
画面に映されて終わります。
蔵の財=経済的な豊かさよりも、
身の財=教養や立場、地位、健康などがより大切ですが、
その身の財よりも、心の財が第一です。
すべてが、自身の心で決まります。
たとえ見た目は、山奥の枯れ木であったとしても、
自らが、心に花を咲かせようと思えば、咲かすことが出来ます。
まさに“心こそ大切なれ”です。