人間の心にある“善の芽”と“悪い芽”
貫井徳郎さんの小説『悪い芽』を読みました。
日本最大のコンベンションセンターである東京グランドアリーナでは、
そこで起きた火炎瓶と刃物による大量殺傷事件。
しかし、犯人自身も焼身自殺をしてしまい、動機が分かりません。
現場に居て、犯行の一部始終を動画撮影したアニオタの大学生、
犯人と小学校で同級生だったエリート銀行員、
同じく小学校で犯人をイジメていたが今は子ども思いの自動車整備工、
そしてアニメファンだった娘を殺された母親の4人の視点で、書かれています。
人間はまだ進化が十分じゃないんだ、って。
進化が足りないから、世の中にはいやなことがたくさん起きる
(中略)
強い者だけが生き残り、弱い者が死ぬのは仕方ないって
考えるのは、動物の理屈だ、って。
人間は動物であるのをやめて、
社会生活を始めたはずなのに、
(中略)
なのにいまさら自己責任を言い出すのは、
人間であることの放棄だ。
簡単に個人情報が晒されてしまうSNSや、
匿名による個人攻撃で叩かれ生活が壊されてしまう怖さとともに、
格差社会、勝ち組と負け組、社会的の弱者の苦悩が綴られていきます。
想像力の欠如、他人を思いやることのない冷たい社会。
それでも最後には、前向きな文章で結ばれます。
今日もまた、一日が始まる。
しかし、昨日と同じ一日ではなく、
少しでもいいから
よい一日になってくれることを願った。
本当にそう思います。
人間の心には、悪の芽ばかりではなく、
善の芽もあると信じたいです。
そう言えば、ベテルの家の向谷地さんの言葉に
『安心して絶望できる人生』と言うのがありました。
苦労や悩みがあっても、それを受け入れて、
悪い芽も善の芽も、そのまま諦観していく生き方なんだと思います。