長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

当たり前のことを大切に

TOKIOの山口さん、そして他の4人のメンバーの謝罪会見をTVで観て、いくつかのことが気になりました。

本人が謝罪するのは当然ですが、なんで、他の4人が謝罪をするのでしょうか?4人が揃って、黒いネクタイに黒いスーツで並んで、深々と頭を下げる姿は、異様にさえ感じました。仕事上、TOKIOとしてグループ活動中の行為でもなく、メンバーが関与していないプライベート上のこと。にもかかわらず、同じグループメンバーとしての連帯責任?そばに居て気付けなかったこと、事前に防ぐことが出来なかったことに対しての謝罪なのでしょうか?

仮に、監督責任、雇用者としての倫理的な責任に対しての謝罪であれば、会社のしかるべき立場の人が出てくるべきだと思います。少なくとも城島リーダーは、管理者ではありません。キツイ言い方ですが、ただのグループのリーダーです。それにも関わらず、社会的な責任を負わされていることに、とても違和感があります。長瀬さん、国分さんが受けたショックや、突然、巻き込まれたことへの戸惑いの言葉は、そのまま受け止められます。でも、松岡さんの激しい怒りは、誰に対しての怒りなのでしょうか?山口さん本人に対する強い想いはもちろんですが、それ以上に、自分や会社に対する憤り、悔しさが怒りとなったように感じました。まず会社は、何もしていない他のメンバーを守るべきなのではないでしょうか?少なくても、彼らを追い込んで、辛いを想いをさせないように、することが会社の責任なのではないでしょうか?だとしたら、今回のけじめのつけ方として、他のメンバー4人による会見を開くのではなく、会社として、社会への影響や、関係者に多大なる迷惑を掛けることへの責任を鑑みて、すでに「TOKIOを解散させました」との決定があり、それを受けて、メンバーがファンや関係者に謝罪するための会見であれば、すんなりと腑に落ちた気がします。昨日の会見は、結果として、残りの4人のメンバーに釈明をさせただけでなく、解散するか活動を継続するかの判断までも、彼らに押し付けた(?)ことになりました。それは、ズルいと思います。その会社の甘い姿勢やその場しのぎのズルい体質が、山口さんの自分勝手な行為と一連のズルい言動を、容認してしまったような気がします。

今回は、湊かなえさんの『告白』からの引用です。

道を踏み外して、その後更生した人よりも、もともと道を踏み外すようなことをしなかった人の方がえらいに決まっています。でも残念なことに、そういう人には日常ほとんどスポットが当てられません。学校でも同じです。そして、それが毎日まじめに生活している人に自己の存在価値への疑問を抱かせ、時として、マイナスの思考へと向かわせていく原因になっているのではないでしょうか。


どこか、今のマスコミや人々の関心が、「本当に大切にすべきこと」「大切に守るべき人」を忘れて、注目度や声の大きさ、インパクトの強さなどに偏ってしまい、みんなが「社会の常識」だと思っていることが、本来よりも、ズレてしまっているように、感じられて仕方ありません。

個人的には、「ザ!鉄腕DASH!!」が大好きです。TOKIOが解散しても、城島リーダー(解散しても、そのままリーダーで)、長瀬智也さん、国分太一さんで、「新宿DASH」「DASH島」「DASH海岸」「0円食堂」を続けて欲しいと思います。松岡さんは、役者をやりながら、大吉さんと酒場を飲み歩いて貰いたいと思います。

もう一つ、気が付いたこと。山口達也さんは、会社があって、TOKIOがあってこその「山口達也」を演じていたんだと思います。だから、それを失うことが、すべてを失うことになるとしか思えなくて、すごく怖かったんだと思います。一方、松岡昌宏さんは、会社を辞めても、TOKIOの看板が無くても、間違いなく、一人で、「松岡昌宏」として、プロとして、これからも仕事が出来ると思いました。自分も、そうありたいと思います。