長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

アドラー先生もおしゃっていました

例によって、WOWOWで映画を先に観て、その後だいぶ経ってから、住野よるさんの原作を読みました。
そう『君の膵臓がたべたい』です。小栗旬さん、北川景子さんには、本当に申し訳ないですが、原作を読んでしまうと、映画の大人になってからのシーンは、まるごと“いらない”と思いました。原作の終わり方の方が、自分は好きです(アニメの方は、原作と同じなのでしょうか?映画館には行きませんが、いずれWOWOWでやるようなら観ます)。原作の方が、映画の100倍良いと思いました。

特に原作の終盤で、カフェで彼女を待っていた彼が、彼女と出会って、変えられた自分に気付くくだりが、強く印象に残りました。

窓の外を歩いている彼らは、きっと生涯僕とは関係を持たないであろう、まごうことなき、他人だ。他人なのに、僕はどうしてか彼らについて考えていた。以前ならなかったことだ。ずっと、周りの誰にも興味を持たないと思っていたのに。いや、違う。興味を持たないでおこうと思っていたのに、その、僕が。思わず、僕は一人で笑ってしまった。そうか僕は、こんなにも変わっていたのか。面白くて、笑ってしまった。今日会うはずの、彼女の顔が浮かぶ。変えられたんだ。間違いなく変えられた。彼女と出会ったあの日、僕の人間性も日常も死生観も変えられることになっていた。ああそうか、彼女に言わせれば、僕は今までの選択の中で、自分から変わることを選んだのだろう。

その後に、38回の“選んだ”が続けます。

違う選択もできたはずなのに、僕は紛れもない僕自身の意思で選び、ここにいるんだ。以前とは違う僕として、ここにいる。そうか、今、気がついた。僕も、僕すらも本当は草船なんかじゃない。流されるのも流されないのも、僕らは選べる。

アドラー先生も言っています。「人生は選択の連続でできている」「不幸を自ら選択してる」「自分は変わらない決心をしている」と。