長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

さすがです!とにかく後味が悪い話です

宮部みゆきさんの杉村三郎シリーズの第5弾『昨日がなければ明日もない』を読みました。

中編3作品の最初の話は『絶対零度』です。
 
絶対零度ぜったいれいどAbsolute zero)は、絶対温度の下限で、理想気体エントロピーとエンタルピーが最低値になった状態、つまり 0 度を表す。理想気体の状態方程式から導き出された値によるとケルビンやランキン度の0 度は、せルシウス度で -273.15 ℃、ファーレンハイトで -459.67 °Fである。Wikipediaより

図書館で予約して、4ヶ月待って、ようやく読むことが出来ました。
読み始めると、話にグイグイ引っ張られて、最期まで一気に読んでしまいます(中編集で良かったです。長編だったら間違いなく徹夜読みです)。
 
あるご婦人が、娘夫婦のことで相談に来たところから、話が始まります。
主人公の杉村三郎は、独りになって探偵業が板についてきた感じで、以前よりも自由に、周りに気兼ねすることもなく、自分で考えたとおりに自信を持って、行動している印象を受けます。
 
私はなんとも言えない胸騒ぎを覚えた。私立探偵としては新米だが、サラリーマン時代に何度か事件に巻き込まれた経験がある。そのなかで、人が窶れてたり生気を失ったりする様を見てきた。
それらの体験によってできたセンサーが、・・・・に「何か」を感知したような気がした。
 
ネタバレは避けますが、宮部さんは、代表作の『火車』でもそうですが、本来ならば話の中心を担うべき主要人物については、杉村三郎が聴き取り調査をしていく過程で、第三者に語らせるのみで、最後の最後まで本人を登場させません。さらには、話のキーマンである娘夫婦さえも、伝聞の描写や防犯カメラの映像等で登場させますが、杉村三郎の前には一度も現れませんでした。にもかかわらず、読み終わった後に、彼らに対して、すごく嫌な感じ、嫌悪感が強く残ります。宮部さんの筆力がなせることだと思います。さすがです。
 
私は黙って見守っていた。何も言わなかったし、何もしなかった。
どうやっても彼を慰めることなどできない。
(中略)
「あなたの気持ちを思うと、言葉もない」
だらしないことに、私は泣いていた。
(中略)
彼の目は血走っていたが、涙はなかった。
私は泣いているのに、彼は落ち着きを取り戻してゆく。
「杉村さんは、いい方なんですね」
穏やかな声でそう言った。
「年長者に向かって失礼ですが、こんないい人が私立探偵なんかやっていて大丈夫なのかなあ。
きっと、・・も同じことを言うと思いますよ。心配だわって」
 
普通の感覚、常識を持つ人が 、何人も何人も登場します。その人たちが口にする“違和感”や“嫌悪感”そして“怒り”を、繰り返し描くことで、絶対的な“悪”が浮き彫りになっていきます。
“絶対的な悪”に対抗するためには、普通の人が“絶対零度”の心を持つしかないのでしようか?
 
そして、残りの2編は『華燭』と、表題になっている『昨日がなければ明日もない』です。
どちらも、杉村三郎の呪われた(?)運命から来る、トラブルに巻き込まれ系の話です。
 
『華燭』は、結婚式場が舞台です。予想出来ないような展開をする話ですが、それほど嫌な話ではありません。むしろ、爽やかな感じさえします(誰も死にませんし)。
 
それに対して『昨日がなければ明日もない』は、依頼された調査報告書を提出して、このままハッピーエンドで終わるのかと思ったら、最後の最後に“ドンデン返し”が待ち受けていました。

私の胸の奥が傷んだ。神の手を持つ心臓外科医にも取り去ることができない痛みだ。
 
宮部さんは、杉村三郎をいつもストンと落とします。まったく容赦しません。
そして最後の一行…
 
五月の青空の下、私立探偵の形をした石になって、私はただ立ちすくんでいた。
 
以前に、書評だったか、インタビューだったか、忘れましたが「宮部みゆきという作家は、ラストシーンを最初に決めて、それを書きたいから、そこに至るまでの話を書く」というのを思い出しました。
前作の『希望荘』の明るい表装からは一転して、本作品は“真っ黒”です。1作目と3作目のラストには、奇しくも、上戸彩さん主演のTVドラマ『絶対零度』と同じ、警視庁の未解決事件専門の継続捜査班に所属する立科警部補が登場。恐らく次回作に繋がっていくものと思われます。今から愉しみです!