長介の髭 消えないままの痛み

犬と本と漫画、映画にドラマ、ときどきお出掛け。消えない傷を残して、前に歩む毎日。

今を生きる

馳星周さんの『雨降る森の犬』を読みました。
犬好きなら、知っていると思いますが、馳さんと言えば“バーニー・マウンテン・ドッグ”です。
それも、あの『ソウルメイト』のワルテルが、登場するお話です。
でも、舞台は軽井沢ではなく、なぜか蓼科です(軽井沢よりも人が少ない場所だからでしょうか?)。
“登山”と“写真”、“親との間に問題を抱えている若者”と“犬”の話です。

「人間は過去と未来に囚われて生きている。脳味噌が発達しすぎた結果だ。なんでも過去の経験に照らし合わせて、未来を予測しようとするんだ」
「過去はこうこうこうだったから、未来もこうこうこうなるはずだ。そう決めつけて、時にはやっても無駄だとか、あまりいい結果が得られそうもないからといって、今やるべきことをやめてしまう。あるいは、未来に起こることを恐れて後ずさりする。まだ、起こってもいないことを恐れるなんて、馬鹿馬鹿しいと思わないか?」
「動物は違う。あいつらは、今を生きている。瞬間瞬間をただ、精一杯生きているんだ。過去に囚われることも、未来を恐れることもない。(中略)俺は、こいつらみたいに生きたい」
「ワルテルみたいに今を生きるんだ。一瞬一瞬を、一生懸命生きるんだ。そうしてれば、いやことなんて、あっと言う間にやって来て、あっと言う間に過ぎていくぞ」

確かに「今を生きる」「瞬間瞬間をただ精一杯生きる」のが人間には、意外と難しいと思います。
特に、都会で大勢の人に囲まれていると、なおのことです。余計な“雑音”や“しがらみ”に、がんじがらめに縛られています。雨の音や雷鳴を、身体全体で感じられる森の中で、犬と暮らす生活に強く憧れます。

ネットで“馳星周”“今を生きる”と検索をしたところ、『週刊宝石』の3月22日号に連載された馳星周さんのコラムで、今年2月に亡くなられた、名俳優の大杉漣さんへの追悼文を見つけました。

「大杉さんは、すべての役を精一杯演じただろう。今を生きるというのと同じやり方で。そんな人が、死ぬのが早過ぎたからと自分の人生を後悔するとは思えない」

亡くなる当日も現場で演じて、仲間に囲まれて逝く。ある意味で、これ以上ない最高の最期です。

人によっては、“犬のように生きたい”と言うと、畜生と一緒にするなと、怒るかもしれません。でも、馳星周さんの言葉は、飼い犬を家族の一員として、擬人化することもなく、ありのままの深い愛情から発した言葉だと思います。それは、小説や文章を読めば、ハッキリと分かります。

自分も、犬のように、そして大杉漣さんのように、その時まで、精一杯生きて、逝きたいと思います。
(余談ですが、馳星周さんも、大杉漣さんも、どちらもかなりのサッカー狂です。馳星周さんは、金子達仁さんと『蹴球中毒(サッカージャンキー)』という本を出しています。大杉漣さんは、自分でサッカーチームを作ってプレーし、徳島ヴォルティスの熱狂的サポーターとして知られています)